「ツボ」を突く。

色々な「ツボ」を突いてみる。

クマが人里に出るのは何故? 我々何か忘れてません?

クマが人里へ出てきて被害が出ると、「害獣駆除」と言って撃ち殺すことが多いです

が、人間動物一体どっちの事でしょうか?

 

今「排除駆除するため」に人間が立っている住んでいる所は、元々クマやその他動物の

居場所だったから彼らが出てくるのではないですか?

 

彼らの住処を「削った」のは我々人間のほうですよ。

 

そりゃあ、隠れてたのに出ざるを得んわねぇ。

 

腹減ってるもん。

 

食物だけでも「補償」してやれば、「自分たちが食われる」恐怖はかなり抑えられた可

能性はありませんか?

 

「立ち退きによる補償」は「人間同士だけ」ですか?

 

せめて食う物だけでも困らんように、必ず削った土地の2割くらい果樹を奥地に植える

くらいの補償すらできんもんでしょうか?

 

山を削ってできたキレイな新興住宅地を見ると思います。

 

 

 

合掌。

怒れ!野球U18日本代表選手!

いやあ、驚きましたね。高野連のオッチャン共。

 

 

「俺たちはこんなに上手く相手国に配慮してやったぞ。ほら選手たち、心おきなく戦い

たまえ。」とドヤ顔で会見しておりましたが、アホ極まりないですね。

 

彼らは「日の丸」という「後ろ盾」を奪われたのです。とても「心おきなく戦え」る訳

ない。

 

ずっと前から「融通の利かん、頭の悪い既得権益の組織だろうな。」とは思っておりま

したが、恐ろしく期待どおりでしたね。

 

あれは外務省の判断する仕事であって、スポーツの国際的交流で、アンタ等ごとき「知

った気でおる連中」が配慮することと違いまっせ。スポーツだからこそ政治抜きで思い

っきりできるのです。

 

政治レベルで国同士ゴチャゴチャしている今だからこそ、逆に関係改善に一役買えるん

です。見事なブチ壊しです。もしこれで本当に選手たちに危害を加えるような国は、人

間の国ではないし、本格的に国際「総スカン」を食らうのは流石に「あの国」でも分か

っているでしょう。

 

大体ね、いくら自分たちが選考した高校生達とはいえ『一国の「代表選手団」』です

よ。リスペクトが無さすぎる、失礼極まりない。普段から「クソガキ高校生の面倒を見

てやってる」前提でやってるの丸分かりでしょうよ!

 

…それからぁ、肝心の選手たちよぉ!

 

…普通に怒れやぁ。「代表選手なめとんのかぁぁぁぁ!!!」って。「日の丸背負えっ

ちゅうといて、日の丸外して戦えってどういうこっちゃねんーーー!!!やっとれっか

ぁぁぁこんなモン!!!!」ってボイコットすべき。…ホンマに。

 

 

 

合掌。

山本太郎、魂胆見えてるぞ~。

 「自らの議席を捨ててまで、重度の障害者を優先して議会へ送り出した。」というの

が今回参院選におけるよく見られる彼の評価であるが、実はとんでもないと思う。

 

 今回の場合のみかもしれないが、これほど配慮と戦略の無いやり方はないのだ。

 

 あの党員構成で国会に登院するためには、どう考えても「体力を考慮したサポート陣

形」が重要なのだ。体力面で相当ハンディがあるお二人には、時には深夜早朝に及ぶこ

ともある国会本会の討議の場に居続けるだけでも拷問並みに過酷なはず。初めてと言っ

ても良いほど重度の障害者を、本当に登壇・活躍させるためには国会経験者である山本

自らも一緒に当選・登院・サポートする策でないと成り立たないと思うのだ。

 

 つまり、党として役割を果たすには、交代で休憩を入れたりして最低限誰か一人が必

ず会議場で議事に参加している形にしないと公約以前の問題になってしまう。そうなる

と、どうしても山本自らが当選・登院する必要があるのだ。

 もし、そこまで山本が考えていたならば、今回のように障害者2人が当選する形は取

らないはずだ。

 

 あるいは、自分も当選して当然と思っていたのか?

 

 そもそも彼の政治焦点はコロコロ変わるし、一見、会派を組んで公約実現に向けて動

いたかと思えばすぐに会派を解いて少数に戻ろうとする。本当に涙ながらに熱く語る公

約を果たしたいなら、もう少し会派や党員が増えるまで(地力がつくまで)我慢しそう

なものだが、今回もほぼ小規模体制に戻って選挙に出た。

 理由は明らかだ。彼に「公約」などというものはない。議場においてマイノリティと

して「孤軍奮闘」する「自己陶酔」こそが彼の目的なのだ。まさに「劇場型」と言って

も良いと思う。

 

 本当に会派や党員が増えて議席を勝ち取り、公約を実現させなければならなくなるの

は困るのだ。残念ながら「N国党」が出てきたことで、彼の魂胆が浮き彫りになってし

まった。ご愁傷様である。

 

 合掌。

実はこんなのも好きなんです。チョイチョイ入れていきます。

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エンジン停止後は一叫び

よく使う駐車場の壁面に書いてあります。

 

この駐車場では男女問わず、停車した後に叫び声が聞こえるので大変です。

‐近年の「ブレーキペダル踏み間違え事故」に思う‐

 

 まぁ、完全に年齢的認知力が原因と思われる「逆走」などはともかく、いわゆる「ペ

 

ダル踏み間違い事故」は、よく見てみると老若男女問わず起こっている。ということ

 

は、単純に「高齢者認知力」の問題ではないということだ。だから、「運転免許 返納」

 

だけではこの手の事故は無くならない。

 

 

 

 ニュースなどで報じられた、事故が発生した場所を思い出していただきたい。大抵は

 

コインパーキングやスーパー・ショッピングモールなどの商業施設駐車場、そして圧倒

 

的に多いのがコンビニの駐車場だ。駐車場…、そう「車を止める」ために入ってきたの

 

であり、自分以外にも「乗り降り」「出入り」の人・車がかなり近い距離ですれ違う結

 

構危険な状態だ。

 

 

 

 AT車がほとんどの現代で、駐車場に入ってから(買い物時を除いて)車道に戻るま

 

で、「アクセルペダル」は使う必要がないし、安全面から言ってもむしろ「使うべきで

 

はない」というのがセオリーだろう。もちろん、通路が上り坂だったり、駐車スペース

 

が下り坂で車体が進まない、少々段差があってパワーが必要な場合(とMT車)は除

 

く。

 

 

 

 (平地で)AT車はDレンジの状態でブレーキを外せばアクセル無しの低速で進んで

 

くれる。つまり駐車場内なら、安全確認と「ブレーキに足を仮置きしながら」ブレーキ

 

操作だけに専念させてくれるのだ。そこへわざわざ「アクセル操作」を足し入れること

 

で事故の確率を自ら上げてしまっているのだ。

 

 

 

 

 そもそも小生の通った教習所では、「AT車は基本的に(縦列込み)駐車動作とバッ

 

ク移動は、アクセル無用と覚えてください。どうしてもパワーがいる時は本当にゆっく

 

りと。」と教えられた。他の教習所でも基本そうだったのではないか?

 

 

 

 現代の象徴的“ 蛇足 ”と言えるのではないか。

 

 

 

 これも“ 蛇足 ”だが、こういう傾向をきっかけに「高齢者運転免許 返納」の機運が高

 

まりつつあるのに、まともに打撃を食らう自動車メーカーが何の反論もしないのが不思

 

議だ。「皆さんが無理せず丁寧に運転していただければ、この手の事故は起こりませ

 

ん。何とぞお願いします。」くらい言っても良いだろう。

 

 

 あっ、もしかすると、ここをあえて気にせず、自動運転車を作り上げて世間を見返し

 

てやろう、という所か?

 

 

 

合掌。

= 門田隆将さんの目に留まったら、ありがたいのですが… =

先日の日曜午後、某「~言って委員会」なる番組を見ていた。

 

幾人かの死刑囚に接見・インタビューしたジャーナリストから垣間見える意外な一面な

どを紹介し、凶悪犯罪と人間について考えていくものだった。

 

何と言っても興味惹かれたのは、先日刑を執行された故井上嘉浩刑囚だった。

1995年当初、私は京都の某大学の大学院に通っていた。

 

そして地下鉄サリン事件。後、オウム真理教の教祖・幹部が逮捕され取り調べが進み報

道される中で思わず「おっ」となったのは彼の経歴だった。

 

彼は京都市出身で、オウムへ入信する前の10代は、勉学もスポーツも優秀なあの私立名

門校「洛南高校」へ籍を置いていたのだ。

 

何かの報道でこの事実を知った瞬間、思わず「何とツイてない。何と勿体ない人生 !!!

」と叫んでしまった。彼は思春期独特とも言える漠然とした杞憂や不安を「その時なり

に」消化できず、信じられるものを求めた結果「インチキモンスター」の元へ辿り着い

てしまったのだった。

 

彼は何もオウムでなくても十分に杞憂や不安と向き合うことのできる「学校」がすぐ近

くにあったのだ。すぐ近くなんてものじゃなく、ある世界的に有名な場所で、その同じ

敷地内に洛南高校と同じ学校法人( + 宗教法人)を母体にしてそれはあったのだ。

 

場所はかの五重塔の「東寺(教王護国寺)」。世界で最も古い「私立学校」として「弘

法大師 空海 」が設立した「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」、現在の「種智院大

学」だ。(種智院大学は現在、京都市郊外に移転)

 

真言密教を心柱に、現在では仏教学・社会福祉学も学ぶことができる。

 

私事ながら進学前はこの大学に通っていた。だから「勿体ない」と思ったのだ。

 

オウムの「インチキ神秘」の表面はこの「本物」からのパクリだ。

何と皮肉な巡り会わせだろう。

 

彼は麻原彰晃が各所本物からパクって継ぎ接(は)いだ「インチキ神秘」に惹かれたよ

うだが、真言密教には仏教の哲学的側面はもちろんの事、空海の行脚エピソードに見ら

れるような科学的側面、真言を唱えて事を成すような神秘的面、「阿字観」のような瞑

想法もある。

 

綜芸種智院には彼の杞憂や不安に対峙しうる「メソッド」が豊富にあったのだ。

 

何故、彼と種智院がつながらなかったのか。彼は逮捕の後、拘置所生活の中でチベット

語を学び、真言宗と同じ密教系に当たるチベット仏教の経典を翻訳してしまっている。

彼は普通に仏教や密教の大家になっていた未来もありえたのだ。

 

洛南高校! 勉学・スポーツに優秀もまことに結構だが、仏教がバックボーンの学校なら

思春期の杞憂に寄り添ってやることも重要な役割だったのでは?

 

門田さん、彼は種智院大を知らなかったのでしょうか?

 

 

合掌。

~ Ⅿ‐1審査員批判騒動 渦中の2人を擁護する ~

 

 

世の中には、実は注意深く観察すると、自分を体裁よく見せるためだけにかなり狡猾

 

 

に他人を踏み台にして、巧みな話術や戦略的工作・印象操作など巧みに駆使し、「世に

 

 

憚る(はばかる)」種類の人がいる。

 

 

 

 今回の「いわれのない批判をされた」と『審査員辞退してやるぞ!』てな強硬手段を

 

 

チラつかせ批判をした二人に「大御所」とは思えない懐の浅さでプレッシャーを掛けて

 

 

いる

 

 

上沼恵美子 “  氏がそのもっとも最たる例だと思う。かつてその「才能」で確たる

 

 

地位を築いた。更にその上で、いつにおいても「自分を持ち上げること」が言動の原理

 

 

になっているので、人の批判はしても自分の批判は「ただ単純にあってはならないこと」

 

 

になってしまっている。だから「不満なら、説明や話し合いしても良いが」という流れ

 

 

やコメントが出てこない。

 

 

 

一度、氏が冠の関西テレビ制作の「恵美ちゃんねる」をご覧になると良いと思う。

 

 

 

よく見ていると、接し方の原理が「単純に私様の好き嫌い」でその上で「最後は全て

 

 

私様」へ巧みに誘導しているのが良くわかる。

 

 

今回の「被害者」ともいうべき「とろサーモン久保田」「スーパーマラドーナ武智」

 

 

も、準レギュラー的に当番組に呼ばれている。他の準レギュラー的芸人たちも同様に、

 

 

唯々「恵美子様」を持ち上げるためだけにコキ下され、ほぼフォローも無しにその回は

 

 

使い捨てられる。「この業界の一部は私の好き嫌いのサジ加減で成り立っている」とは

 

 

絶対に口に出して言わないが、「それを察せ!」という湯気がいつも立っている。

 

 

 

女優や歌手系のゲストも例外なく「恵美子様」の満足のために「傷」に塩を塗られる。

 

 

 

そんな様子を普段から知っていた2人は、漫才の作品そのものに対する「嗜好性」で

 

 

は無く、演者の人格への好き嫌いがカラー付きでチラついている氏の審査方法に腹を

 

 

立てたのも不思議ではない。

 

 

 

ただ、これに掛けてきた一年の疲れとアルコールが2人の「発射ボタンを」押してしまったのだろう。

 

 

 

 上沼氏の同年代大御所に「明石家さんま」がいるが、彼の場合は上沼氏と同じように

 

 

ゲストを「イジる」が、提供してもらったネタを更に楽しめる物へ加工して「土産」と

 

 

して持たせて帰す(返す)。

 

 

 基本的に明石家さんまは、むしろ自分を踏み台にさせて相手を輝かせ、それが旨くい

 

 

ったことを自分の満足にしている。ジミー大西の面倒を一応の独り立ちまで看たこと

 

 

からもその違いが解ると思う。

 

 

 

この騒動、批判を口走ってしまった2人に非難が集中しているが、「演者の人格嗜好

 

 

での判定」を嗅ぎ付けられた大御所へ、一言釘を刺したりたしなめたりする別の大御所

 

 

がいてもいいのでは? 本人が聞く耳を持つ持たない別にしても。

 

 

 

 

合掌。