「ツボ」を突く。

色々な「ツボ」を突いてみる。

~ サッカーはシュートしてナンボ。代表監督を解任しても変わらない ~

サッカーファンや関係者殿、みんな解ってるんでしょ?

  

ハリルホジッチを解任したところで何も変わらないって。

  

「日本サッカーは、いまだに小学生が教わる基本のところで停滞している」と。

  

今時、リアルタイムで世界最高峰のサッカーがみられる。20年前まではBS放送で厳選

した数試合しか見られなかったが、今や何百試合の中から選ぶ苦悩になっている。基本

的には見るほうの「目が肥える」のは必至だ。

  

そうなりゃ、みんな解っているはず。

  

よほど拮抗した試合以外、ヨーロッパも南米も果敢に挑む「シュート」シーンに溢れて

いる。

  

ところが、日本サッカーはどういう訳か代表レベルになると、まあああああああああ、

 シュートを打たない。「本田圭佑」も「香川真司」も代表になると「借りてきた猫」状

態で、所属チームでのプレーと比べると、30パーセントはシュート数が落ちていると

思う。

 

いや、「比較」の問題じゃない。サッカーでシュートを打つのは、歩くのに左右いずれ

 かの足を前に出すことと同じだ。

  

しかも、特にサッカー経験者の皆さん、よ~く思い出していただきたい。少年団などで

 サッカーを始めた頃、口酸っぱく言われた「攻撃の優先順位」。

 

そう、最優先事項は「シュート」だ。

  

最初から「至るべき正解」を教わっているのだ。

  

南米・欧州の試合を見ても、ボールが渡った選手はよっぽど最初から敵に詰められてい

なければ、常にゴールを意識しているのがすぐにわかる。選手によっては「俺で ❝ 決め

る ❞ 。パスはない。」くらいの気迫がにじみ出ていることもある。結果シュートを外し

て、フリーだった味方に「俺が空いてたんだから、よこせよ!!」みたいな半ば怒りの

ジェスチャーを受けて、「分かった」とサムアップ…のような光景がよく見られる。

  

シュートも打たずにモタモタしているほうが、チーム内・サポーターからの非難が強い

 のだ。交代なんてこともあるだろう。

  

(もちろん、同時進行で「保険」のパスを探していることもある。)

 

どういう訳か、日本代表は最初から優先順位が「パス」になっている瞬間をひしひしと

 感じることが多い。敵陣に入っても、「よっしゃ、俺が行ったる!!」と感じる選手が

 本当に少ない。

  

もうちょっと細かく見ると、…

  

(元々、日本サッカーは子供も大人も全体的にシュートに消極的な傾向があると思うの

だが、これは今回の真テーマなので後でしっかりやりましょう。)

  

             …ここ10年ほどで流行の「ポゼッション」を取り入れてか

ら、コンパクトでショートパスを多用するようになったのは良いのだが、シュートレン

 ジもシュートへの ❝ 意欲 ❞ も「コンパクト」になってしまったようだ。

 

経験者なら解ると思うが、最初からパスを探している敵は何も怖くない。一方、シンプ

ルにゴールを狙ってくる敵は、意識も動きも全力を注がないとシュートもドリブルも止

められない。シュートをブロックで防ぐとなると、近くの味方が自然にブロックを加勢

しに来る。

  

こんな風に、コートの、特に自ゴール前の一カ所にチームの数選手が集まってしまう…

ということは、それだけ敵の選手が何人かがマークも受けずに(極一瞬だが)フリーに

なっている、あるいはスペースも空いているということでもある。

  

つまり、 シュート を打とうとすることで、一瞬の内にシュートとパスと更にフェイン

トからドリブルという2~3の選択肢が湧いてくるのである。

 

そもそも、シュートとゴールは「サッカー」というスポーツの意味を決める普遍的で重

要なアイテムだ。 どれだけ90分で走ろうが、ボーっと立っていようがシュートとゴ

ールがなければ、最初から試合をしていなかったに等しい。

 

こんなことは日本代表選手でも重々承知だろう。

 

では、何故?

 

個人的に、余りにも秀逸で苦笑いしてしまうほどの「答え」があった。

 

某サッカー番組に招かれた、脳科学中野信子氏による「日本人の脳科学的特性」を通

してみる日本サッカーの性格だった。

 

氏によると、これは日本人のスポーツにおける『宿命』なのだという。

 

大きく要因が3つあり、

 

①精神を安定させる脳内物質「セロトニン」を運ぶ ❝ 運送屋 ❞  の機能が弱く、比較 

 的すぐに「不安に陥りやすい」特性。つまり「心配症」。

 

②判断からの行動が「正確性」を重視する傾向にあり、「反射的」に行動する欧米人に

 比べ、遅れを取ってしまう。

 

③世界で一番「失敗」を嫌う民族である。

 同じ脳内物質でも、今度は「ドーパミン」で、比較的小さな「達成・成功」で ❝ 精神

 的おなか一杯(満足) ❞ になるようだ。逆に欧米人は満たされにくいので、「数を稼

 ぐ」ためリスクを厭わず何度もチャレンジするようだ。

 そして、満足を得やすい脳は、それを崩すようなことをわざわざ選択はしない。すな

 わち、「チャレンジを嫌う」ようになった。

 

 

こりゃ「シュート」も「チャレンジ」も難しいわな。

 

てなことを考えていたら、思い出した。自分がサッカー小僧だった時の事と、後に自分

が指導していた時の事を。

 

必ずしも「オール・タイム」ではないが、自分も仲間も、組み立てて攻め上がった後の

シュートを外すことを異様に嫌っているような瞬間があったような気がする。特に、シ

ュート打つのが下手なヤツが、他にフリーの味方もいた状態で結局外してしまうと、

「外すなら、打つな!」なんて声が出ることもあったと思う。

 

自分が指導するようになってからは、「シュートを外すことは、鉛筆やシャープペンの

❝ 芯 ❞ が折れるのと同じ。ガッカリしてないで、次の分を押し出したり削り出したりし

ないと、結局字が書けない(得点できない)。」と、シュートを推奨してきた。

それでも選手たちに本音を聞いてみると、「分かってはいるし文句も言わないが、やっ

ぱりせっかく大事に持ち上がってきたのにシュートが外れた瞬間は何とも言えない感じ

になる。」という声が。

 

つまり、世代を超えた「民族的特性」のようなものになっているのだ。

 

恐るべし 脳科学

 

ただ、これは「諦め納得すべき ❝ 終着駅 ❞ 」ではない。「遺伝的身体特徴」のように、

「全く如何ともし難いこと」とは違う。

 

「打てば(広義に『チャレンジすれば』も足しておこう。)済むこと」なのである。も

ちろん、これは「性格」みたいなものだから、アプローチに相当の工夫が求められる

が、全くシュートが打てないわけではないので、必ず解決する。

 

後、個人的な経験ではあるが、(特に試合開始の立ち上がりなどに)シュートを打つべ

きなのにはもう一つ隠れた重要な意味がある。シュートを打ったプロセス、場所、質

(強さ・正確性)などからチームの調子・敵の調子、互いの実力差・弱点、等々の事

が、ボヤっとながら覗けるのだ。

 

 

だから頼む! まずシュートしてくれ! SAMURAI BLUE !!

 

 

ええっと、先の脳科学のくだりだが、もう一つ自分の指導者時代の事を思い出した。

 

世界の中でも、特にアルゼンチンのアタッカーはシュート時における「集中力」「冷静

さ」はトップレベルと評価され、目指すべきモデル・参考・研究対象になっている。一

方日本選手は、敵のブロックやプレッシャーから焦って、ボールを打つベストタイミン

グより早く打ってしまうので、「打ち上げて」しまうことが多い。

 

無論、選手全員(特にJのプロ)とは言わないが、小学生期くらいの練習の様子にその

原点があるのでは? と思うのだ。

 

自分の担当していたチームのある日の練習で、「こりゃ、『The 日本人』だぁ。」と笑

ってしまったことがあった。

 

日本人は「集団行動・団体行動」が得意とされる。学校でも新学期は、体育で「整列」

や「列数の変換」など団体・集団行動を用いて学級運営を始めていく。まぁ、先進国の

中でも1クラスの編成がかなり多い部類に入るだろうから、必須要素だと言える。

秩序立って行儀よく振る舞うのは悪くない。ただ、これがスポーツの練習に「妙な化学

変化」を起こしてしまうことがある。

 

やっぱりこれも「シュート」の練習のときだった。

ゴールから左右の斜め45度離れた場所に列を作り、そこから一人ずつドリブルシュート

していくものだ。開始前に「できるだけ『右上隅』『左下隅』という風に細かく狙う所

を決めて打って行こう。」と指示し始まった。

 

しばらくはこちらも何も言わず、各人が「イメージと結果」の差を感じている様子を観

察して、修正点を提示しようとしていたのだが、ハッと気が付くと…

 

         「試技 → 列に戻る」という「一練習の流れ」

 

               …が恐ろしくリズミカルでキレイになっていたのだ。

 

血液の循環のように。

 

何が問題かって? 肝心の「シュート」が入っていない、のだ。

 

和気あいあいと「秩序」を作り、シュートが思い通りに行ってもいかなくても喜々とボ

ールを拾って元の列に戻りお行儀良く待つ、の繰り返し。誰も、自分が蹴った「足跡」

でフォームを確認したり、スイングが歪んでいなかったか素振りをして首をかしげる

うな選手がいなかったのだ。

 

余りにも面白かったので選手を集め、いかにも日本人らしい様子だったと説明し、今度

は「シュートを打つ瞬間は、『マンガ』のように自分の空間に没頭してバッチリ決めて

みよう。」と伝えて再開したのまで覚えている。

 

 

 

日本サッカーの行き詰まりは、意外にこんなところにあるのでは? と考えている。

 

 

合掌。