「ツボ」を突く。

色々な「ツボ」を突いてみる。

~ Ⅿ‐1審査員批判騒動 渦中の2人を擁護する ~

 

 

世の中には、実は注意深く観察すると、自分を体裁よく見せるためだけにかなり狡猾

 

 

に他人を踏み台にして、巧みな話術や戦略的工作・印象操作など巧みに駆使し、「世に

 

 

憚る(はばかる)」種類の人がいる。

 

 

 

 今回の「いわれのない批判をされた」と『審査員辞退してやるぞ!』てな強硬手段を

 

 

チラつかせ批判をした二人に「大御所」とは思えない懐の浅さでプレッシャーを掛けて

 

 

いる

 

 

上沼恵美子 “  氏がそのもっとも最たる例だと思う。かつてその「才能」で確たる

 

 

地位を築いた。更にその上で、いつにおいても「自分を持ち上げること」が言動の原理

 

 

になっているので、人の批判はしても自分の批判は「ただ単純にあってはならないこと」

 

 

になってしまっている。だから「不満なら、説明や話し合いしても良いが」という流れ

 

 

やコメントが出てこない。

 

 

 

一度、氏が冠の関西テレビ制作の「恵美ちゃんねる」をご覧になると良いと思う。

 

 

 

よく見ていると、接し方の原理が「単純に私様の好き嫌い」でその上で「最後は全て

 

 

私様」へ巧みに誘導しているのが良くわかる。

 

 

今回の「被害者」ともいうべき「とろサーモン久保田」「スーパーマラドーナ武智」

 

 

も、準レギュラー的に当番組に呼ばれている。他の準レギュラー的芸人たちも同様に、

 

 

唯々「恵美子様」を持ち上げるためだけにコキ下され、ほぼフォローも無しにその回は

 

 

使い捨てられる。「この業界の一部は私の好き嫌いのサジ加減で成り立っている」とは

 

 

絶対に口に出して言わないが、「それを察せ!」という湯気がいつも立っている。

 

 

 

女優や歌手系のゲストも例外なく「恵美子様」の満足のために「傷」に塩を塗られる。

 

 

 

そんな様子を普段から知っていた2人は、漫才の作品そのものに対する「嗜好性」で

 

 

は無く、演者の人格への好き嫌いがカラー付きでチラついている氏の審査方法に腹を

 

 

立てたのも不思議ではない。

 

 

 

ただ、これに掛けてきた一年の疲れとアルコールが2人の「発射ボタンを」押してしまったのだろう。

 

 

 

 上沼氏の同年代大御所に「明石家さんま」がいるが、彼の場合は上沼氏と同じように

 

 

ゲストを「イジる」が、提供してもらったネタを更に楽しめる物へ加工して「土産」と

 

 

して持たせて帰す(返す)。

 

 

 基本的に明石家さんまは、むしろ自分を踏み台にさせて相手を輝かせ、それが旨くい

 

 

ったことを自分の満足にしている。ジミー大西の面倒を一応の独り立ちまで看たこと

 

 

からもその違いが解ると思う。

 

 

 

この騒動、批判を口走ってしまった2人に非難が集中しているが、「演者の人格嗜好

 

 

での判定」を嗅ぎ付けられた大御所へ、一言釘を刺したりたしなめたりする別の大御所

 

 

がいてもいいのでは? 本人が聞く耳を持つ持たない別にしても。

 

 

 

 

合掌。