「ツボ」を突く。

色々な「ツボ」を突いてみる。

「寿命120歳」実現と科学者の「本性」

 以前、NHKサイエンス系海外ドキュメンタリーを見ていたら、「遺伝子研究最前線」みたいなものをやっていた。確かにモチーフ的に凄いのは凄いが、それが一側面的でエライ能天気なものをやっていて、恐ろしかったのを思い出した。


 遺伝子学の世界では、「寿命120歳」というものが、ほぼ可能という所まで来ているそうだ。 全ての我々の遺伝子に組み込まれている「老化と死のプログラム」が遺伝子の構造のある個所に「形」として存在することが判ってきている。 ここと「折り合い」を付けることができれば、平均的に120歳くらいまで生きられるようになる、というのだ。 

 少し前のSFが描く「未来と長寿・不老不死」というテーマは、「冷凍保存」という形で数十年数百年先の「未来」に託していたが、これも大幅に短縮されそうな見込みである。 「冷凍保存」には「環境と安全の保持」という分かりやすい「弱点」があり、特にSFではその「弱点」をきっかけに話が展開することが多い。 まあ、「不老不死」からは少し離れるが、'80年代からお馴染みのSF映画「エイリアン」なんかがそうだ。


 ええっと、「寿命120歳」。

 このドキュメンタリーでは、「寿命を延ばすこと=先天性の心身障害や病気そのものの除去を含む」、で「早い実現・実用が待たれる」的な立場をとっていた。 確かに、障害や病気そのものをなくすのは、医療費・身体・心理どれをとっても「悪くない」。 ただ、病気等を除去してその結果「死なない」となると、今度は「医学」や「医療費」で済まなくなってくるのだ。


 社会保障的に言うと「超」が3つくらい付く「高齢社会」になってしまうのである。単純に「人が多すぎて、老いも若きも『共倒れ』になる」のだ。

 たとえ、定年退職を80歳にしても、「U‐80歳で、U‐120歳を支える社会」…。どうやって「年金」絞り出すんだ。ただでさえ、「AIの発達で、現在の仕事が殆どなくなる。」なんてこと言われてるのに。

 ムチャクチャだ。 もし、もっと変な方向へ行ったら「40で成人」なんてことも…。


 もっと妄想をすれば、かなりエグイ暴言なんかも生まれるかも。

 「いつまで、生きんだ! テメェは!!」…十分に考えられますよ。


 明石家さんまが「引退撤回」で、芸人界の渋滞解消がまた遠のいた、と中堅どころが悩んでいたが、それのもっと現実界で超超超ヘビーなのが来るのだ。


 少なくとも、拙者個人が40数年生きてきて、「科学・技術」と「社会」は、個人個人が「どう捉えておくか」という側面で急激に変わりつつあると感じている。 もう「実現が可能・不可能?」ではなくて、「出来てどう変わる?」という前提で「革新」や「進歩」を進めなくてはならない段階のものに変わってきている。

 SNSを介した人間関係のトラブルなんかがそうで、迅速・スムーズなコミュニケーションが目的で生まれたはずなのに、逆に「集団から人を『迅速に』パージする」ツールで利用されてしまうことも。 

  

 「マッドサイエンティスト」という言葉がある。

 「狂科学者」と訳されているが、知的欲求や好奇心が巨大化・変容した「狂気」を抑えられず、事態のコントロールや収拾がつかなくなる可能性を秘めた研究や実験を遂行する学者の事だ。 一番有名なのはイギリスのメアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」だろう。 「生命だけ」を自ら創造することに憑りつかれた博士は、かの「怪物」を生み出してしまう。

 しかし、これはフランケンシュタイン博士に限ったことではないのだ。特に「学を志し」た人間は、「知的欲求と好奇心」を上手く飼いならさないと、人を人とも思わぬ「怪物」に…あっ、「ミイラ取りがミイラに」だ。

 

 …まあ、研究職になり損ねた「半端者」が偉そうに心配して言うことではない。


 寿命の問題については、良い「叩き台」に成り得る古い4コマ漫画を思い出した。

 約30年前にあった相原コージの「コージ苑」という4コマに特化した「シュール系」のものだが、その中でかの「火の鳥」をパロッたものがあった。


 主人公が「火の鳥」を捕らえ、

 2コマで その血を飲み「不老不死」を達成する。

 3コマで 意気揚々と悠久の時を過ごすが、

 4コマで 人類も滅びた荒野で、首だけになって転がり一筋涙を流しながら一言…


      「し、死にたい…。」

 


 今回はこの辺で。 合掌。